愛しのセンターほくろさん

「センターほくろさん」とは⏩岡本圭人の胸部中心に存在するホクロのことである。ご挨拶できることは稀。レアキャラなのだ。

ジャニーズひとりで必要な栄養素は補給できます


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ちょっと頭のおかしいはなしをします。

よく、『人類は二種類にやけられる。~な人間とそうでない人間だ。』という決め台詞がありますよね。

私がその決め台詞を言うのであれば『オタクとして生きていける人間と、そうでない人間だ』。

日本はオタクを文化としているだけあって、その人数はとても多いと思う。ここで気になるのが「どこからオタク?」というおたくの概念であるが、はてなさんに聞いた結果↓

中森明夫氏の造語。当時は「おたく」と表記。中島梓は後述する語源を踏まえ「おタク」と表記。「ヲタク」または「ヲタ」「オタ」などと表記されることもある。現在は、主に中学生以降の、アニメ・漫画・ゲーム・アイドル・特撮などを愛好する人(たち)のことを指す。男女は問わない。以前は、特定の趣味分野に生活の時間や所得の多くをかける人(たち)のこと。一般層が使用する、一見矛盾した「アウトドアおたく」的表現はここからくる。元々ロリコン漫画誌から発せられた造語の為、本来は(性的表現も含む)コアな漫画・アニメマニア(特に男性)を指す蔑称。「ファッションに関心が無い、自室にこもりがちな」暗い人物への蔑称として使用されることもあった。      

とのことでした。

ジャニオタのなかでも「どこからがファンでどこからがオタクか?」という議論を見かける。

ここからはただひたすらに私の少ない経験とうすっぺらい考えではなしをすすめていくわけだけど、私としては「金と時間を費やせるのがオタクで出せないのがファン」。はてなさんと一緒。あと、ここでのオタクは独り身に限る。(※恋人・配偶者付オタクがいることは分かっているけどそれを含めるとややこしいから許して)

なぜこんなことを話しているのかというと、初めのほうのブログに書いたとある友人が「おまえが楽しいならいいんじゃない?(嘲笑)」と言ってきたことを根に持っているから。

私はオタクが大好きだ。オタクをしている自分が大好きだ。人生を捧げてもオタクをやりたいくらい大好きだ。

でも負け組のように扱われる。見下される。それがとにかく許せない。粘着質オタクである。

私の周りだけかもしれないが、オタクをしているということを「かわいそう」という意味もこもった「すごいね」という言葉で片付ける人が多すぎる。

自分の好きなようにお金と時間が使えて羨ましい。楽しそうで羨ましい。でも恋人も配偶者もいなくてかわいそう。見返りのない人にお金を払ってばかみたい。私そんなことできない。=『すごいね。』

私がひねくれているだけかもしれない。しかしそのようにしか聞こえないのだ。

私は、声を大にして言いたい。こんな楽しい世界を知らないなんて、もったいないよと。

ジャニーズ(自担)を見ているだけで数えきれないほどの感情が沸き上がる。可愛い、かっこいい、おもしろい、きれい、美しい、切ない、悲しい、悔しい、むかつく、嬉しい、、、もっともっとたくさん、そう、人生に必要な感情は得ていると確信している。


『ジャニーズは、彼氏だ。』

なかなか会えない遠恋気分を味わったと思えば、コンサートで会えばラブラブカップル。ファンサをもらえば有頂天だし他の女にファンサしてるところを見れば嫉妬する。フライデーになんて載ったら立派な浮気だ。ずっと一緒、そばにいて、幸せにする、、甘い言葉がふってくるふってくる。真夜中には自担を思って切なくなってぽろりと涙を流してみたりする。夜は短し恋せよ乙女。

『ジャニーズは、友達だ。』

雑誌を読めば(嘘でも)近況を知る。そして人間らしさを知る。自担の親友ジャニーズや、友達の担当は、好きではないけどよく目に入る人間。そのへんのリア友より情報があったりする。コンサートで顔を合わせて、「あ、久々~。」「相方がお世話になってますー。」みたいなテンションにもなる。

『ジャニーズは、息子だ。』

私はこれがいちばん。小さい頃から成長を見守ってきて、嬉しいことも悲しいこともつらいことも全部見てきた。できなかったことができるようになる嬉しさ。思うように評価されない悔しさ。他の女にとられたときの切なさ。にこにことコンサート会場を走り回る姿なんてみたら、「おっきくなって、、」と涙が溢れる。こんな良い子に育ってくれて、ママは嬉しい。

『ジャニーズは、天使だ。』

あぁ神様。私は天使に会いました。地上に天使がいたのです。同じパーツでできているとは思えない美しさ。華やかさ。後光がみえる、羽が見える、、、ここは極楽浄土でしょうか。


もっともっとたくさんある。ジャニオタをやっているだけで、こんなにもたくさんの気持ちを経験する。人間として必要な部分の欠落はしていないはずだ。

そしてなにより楽しい。理由は上に述べた通りだ。俗に言う非オタのひとたちは、恋人といて楽しいでしょう?友達といて楽しいでしょう?同じだ。私たちは、自担(そしてそのグループ)ひとつで全てを味わうことができる。



人間として摂取しなければいけない栄養素は全てとれる。ジャニーズとは、万能サプリメントみたいなものだ。



『ジャニーズはアイドルだ。』

疑似恋愛に疑似友情、疑似親子に疑似結婚。様々な関係性を擬似体験し、様々な経験をした気持ちになる。有名なら有名なほど、該当アイドルに詳しい自分が誇らしかったり、ファンサをもらったことを自慢げにはなし女子の大好きな優越感を得る。担当制度における『=志向』は擬似体験を更に現実に近付け、オタク同士の友情は名前を変えれば傷の舐め合い。良く言えば戦友。こんなに居心地の良い場所、他にあるだろうか?


嗚呼、素晴らしき我がオタク人生。


私たちが見下されている原因は、「大人としての義務を果たしていないこと」だと思う。

誰か一人配偶者を決めて、子どもを産み、育てる。これは私たち人間が大人になるときに課せられた義務だ。そうやって人類は生き残ってきた。

それは人間が求める幸せの形であって、小さい頃から幸せの象徴として教えられてきた。ひとりの異性を愛し、愛され、その愛の結晶をつくる。それが当たり前であって、それができない=幸せじゃない=かわいそう、なのだ。

しかし、私は知っている。幸せだけじゃないのが結婚だと。その「幸せになるための義務」を果たすためにみんながすること、それは我慢。妥協。それができてこそ大人、一人前。

そしてその我慢や妥協ができない、それがオタク。


ここまで語っておいて言うけれど。


それはもう、素直に言うしかない。

ごめんなさい。見下されて当然でした。